君の歌がある

蝶シスのドリルな日々

土地に積もる重み

ここ何日か思うことがあったので備忘録…

 

 

先日、仕事はお休みで、前の職場があった、ある新興宗教名が冠された都市に行く。その宗教のお祭りがあるので、わたしの父と母が実家からそちらにやって来るのだ。

 わたしは父母に会いに行くのと、そこで共に働いていた同期とご飯にいく約束をしていた。

 わたしの実家はその宗教の教会で、そこで生まれ育ち、信者に囲まれて育ってきた。

 子供のころからその〝教え〟は理解し切れないところが多くて、信仰心やその道を深めるごとに、財がなくなり、おしゃれや人生の楽しみといったときめきがなくなり、自由な時間もなくなり、自由な心もなくなり、布教に歩かねばならず、周囲(一般人)から白い目で見られる、この教えは本当に、わたしたちを救うんだろうか?と思って過ごしてきた。もう、2才ぐらいの頃から。

 

その場所に降り立つと、7年間住んでいた懐かしい空気を感じ、ああ、久しぶりだなぁ、今日は寒いななんて思って歩いて。

 

変わらない父母に会って話しているうちに、ひとつお手伝いが舞い込んできた。

催しでじゃがいもを販売するから、仕分けしなさいと。

ああ、ハイハイ、何でもしますよ〜とお手伝いに母と向かうとき、

久しぶりに会った、違う教会の奥さんに会って明るく爽やかなんだけど、その澱と重たさを感じてびっくりした。

 

(ここ最近細やかになってそんなことまで気づけるようになった)(これは進化だと思いたい)

 

「◯◯ちゃんが子供を授かったんだよ〜!」

と言いながらピョンピョン跳ねているのを見て、言葉や意識では明るくいようとしていて、自分では明るい人だと思っていても

長い間の我慢や諦めが重たさや澱になってその人にあって、それを明らかに感じてしまって

 

 

この場所、この街全体が

たくさんの人のそんな諦めや重たさをもっていたことに気がついた。

この街に降り積もっていた。

ああ、だから私はここに住んでいた時にいつも憂鬱だったんだなと思った。

 

 

 

長くなったので続く…